日常
私は高校を卒業後、修行のため東京で6年間働いてきました。
都内のホテルのフロントで勤務し、満員電車にゆられ
1Kのマンションでの一人暮らし。
東京まで見送りにきてくれた親や妹が和歌山に戻る日、
次の電車に、次の電車に、と帰る電車をホームで何本も遅らせました。
でもその瞬間は待ってはくれません。
「プルルルルルル~」 発車の合図。
電車のドアが閉まったあの瞬間を私は生涯忘れることはないと思います。
本当に寂しくて、不安で、でも心配をさせたくなくて強くこぶしを握り
涙をこらえて頑張ったあの瞬間。心がキューって音をたてた
ように思いました。ドアの向こうで母と妹がポロポロ泣いていました。
こらえきれず号泣してしまいました。電車が見えなくなると
「泣いてたらあかん。都会は怖いんやから。しっかりせんと」
田舎から初めて大きな町にでてきた18歳の私には
東京=怖い人がいっぱいいる!の方程式しか無かったのです。
最初の頃は、泣いてばかりの毎日。でも都会での暮らしは、
私を成長させてくれましたね。
良い友との出会いがありそれからは、
目の前の景色も人もまったく違う色にうつるようになりました。
東京=2番目の故郷 になったのです。
きっと都会での生活をしてきたから
田舎の良さというか、自分の町が心から好きだと言える
私が今ここに居るんだと思います。
おばちゃんのように80歳を目前にしてでも畑に通い
毎日毎日野菜と向きあいながら、暮らしてきた人たちが
たくさんいるこの町を本当に素敵だと思います。
「白菜食べるかぁ?」私に気づき畑から手を振ってくれてます。
カマをもって根元をザック。無農薬でみずみずしい白菜が収穫されました。
お鍋プランのお客さんにはさっそくおばちゃんの大切に育てた白菜を
召し上がっていただけます♪
ここで暮らして幸せなのは、口にするものに物語が見えることですね。
娘にも「これは、あのおばちゃんが作った野菜やよ。
この魚はあのおっちゃんが釣ってきてくれたんよ。」
そんな話ができる事を幸せに思います。
おばちゃんの甘いシャキシャキした白菜をいただきながら、
背を丸めて畑に通う姿が浮かんできました。
いつもありがとう。美味しかったです。
ちょっと笑ってしまったけど・・・・。
大人にもサンタさんがプレゼントをくれるなら
私なら何をお願いするかなぁ~。
そう考えていると、頭に浮かぶのは
「舞花の幸せ」 だったり 「家族の健康」 だったりで。
“物”がぜんぜんでてこない。
数年前ならワンピースやブーツなんて物が頭に浮かんできたでしょうね。きっと。
私の中の優先順位とでもいうのかな?!自分から娘や家族に
変わってるって事をサンタさんに気づかされました(笑)
★ ★ 大人にもサンタクロースが来てくれるなら、
あなたなら何をお願いしますか? ★ ★
宿から歩いて10分、金刀比羅神社の「お餅まき」に
娘を連れて行ってきました。
連泊されている湯治のお客さんもちょうどいい散歩になると 10分の距離を歩いて出掛けていかれました。 私たち地元の人が「こんぴらさん」と呼ぶその小さな神社は 321段もの石段を上った山頂にあります。 150年ほど前につくられたようで、その当時の村人の大変な思いと労力が 伝わってきます。(昔の人は偉い!本当にそう感じますね) 毎年ここで、お餅まきがあるのですが、なんといっても321段! お年よりや子供が多いのでふもとにある「普門寺」でお餅まきをしました。 お寺の役をしている父は、お餅をまく人。 娘が「おじいちゃ~ん。こっちだよ~」と 恥ずかしそうにちょっと手を上げてお餅をまいてね♪ のサインをおくっていました。 そのかいあってか?! 袋いっぱいに、お餅やお菓子を拾って大満足の様子。
~長い付き合いの常連さんが多いのは宿の誇りです~
<橋本のおばあちゃんと母(女将)ロビーにて>
橋本のおばあちゃんとも40年以上のお付き合いです。
ご夫婦でお越しいただいていましたが、数年前にご主人が
他界されその後は娘さんや息子さんとお越しいただいています。
母(女将)の話では、おばあちゃんは絶対にどんな時でも
おじいちゃんの3歩うしろを歩いていたらしいです(*^^*)
それが無理にでなく夫婦間で当然のことのように本当に自然だったとういうから素晴らしいなと思います。
おじいちゃんが亡くなられ、子供やご親戚が集まっている時
「親父が何十年も通っている旅館とは、どんな所なんや?行ってみようか!!」
という事になったらしいのです。
それがきっかけで、娘さんや息子さんが初めて訪れてくれたのです。
もずくが大好きだったおじいちゃん。
その日は好物のもずくを、お供えしていただけるよう持って帰ってもらいました。
先日、久しぶりにおばあちゃんが娘さんと共においで下さいました。
母(女将)と玄関先で抱き合って再開を喜んでいるのを見ると
しらさぎと共に歳を重ねて下さったお客さんには言葉は必要ないのだと感じました。
しらさぎの歴史を一緒に歩んでくださっている橋本のおばあちゃんには
いつまでもいつまでも元気でいて欲しいと本当に願います。